人物私評
平治の乱に置ける清盛の判断について考えていたとき、清盛と秀吉の類似に気が付いた。両者は主君の突然の死によって立場を武人から政治家へと変じた。 平治の乱の勃発以前の清盛は藤原信西に仕える番犬に過ぎなかった。反乱軍によって信西が殺され、普通なら…
義経が持っていたそもそもの誤解は、「清盛が父義朝の仇」であると言うことではないか。 平治の乱の時、既に物心付いていた頼朝はその辺りを理解していたはずである。兄頼朝の挙兵は以仁王の令旨に応じたモノであって、父の敵討ちとは考えていなかった。彼の…
忘れた頃に第三弾を。
共通点 どちらも野望を実現する為の最後の大遠征に出る直前の、一瞬の隙を最も信じた部下につかれて殺される。 ただし、良き後継者に恵まれてその路線は若干の修正を受けつつも継続した。 もし彼らを倒した反対派がそのまま政権を維持していたならば、 彼ら…
昔、某所へ投稿したモノの焼き直しです。
取りあえず思い出すままに。
昨日と順番を変えただけですが。
大久保は共に徳川を倒した盟友西郷を死に追いやった。 これと同様に頼朝は平家追討に功のあった弟義経を、家康は主君秀吉の遺児秀頼を殺した。
大久保は近代日本最高の政治家である。 今までに取り上げた三人も能力では遜色ないが、その目的は結局の所私益の追求に他ならない。 対して大久保はその絶大な権力を日本の近代化の為に使った。 開発独裁と呼ばれるその手法はアジア諸国の近代化のお手本とな…
やはりこの三名はセットで考える必要がある。
これまた日本人に人気のない人物である。 頼朝には弟義経殺し(実際に殺したのは平泉政権だが)が、そして家康には秀頼殺しという汚点がある。 先走りになるが、次の大久保にも盟友西郷殺しの罪科がある。 だがこの非情さこそ彼らが優れた政治家である事の証…
不比等の、と言うか藤原摂関家の政略というのは、天皇家を不可侵の存在に祭り上げることで権威を高め、自身の権力を補完するモノであった。 両者が一体化した支那では権力の劣化に対して易姓革命という荒療治が必要であったが、これが分離していれば権力移動…
義経人気(いわゆる判官贔屓)のために割を食った、非常に人気のない人物。
日本の政体の根幹を作った人物。