西郷と大久保

 昨日と順番を変えただけですが。
 二人の間にはある種の密契が有ったのではないか。
 つまり西南戦争は薩摩の不平士族を自分の周りに呼び込んで一掃するための最後の大謀略であり、西郷の死も二人の間では織り込み済みと言うことになる。
 この画を描けるのは西郷本人以外にはあり得ない。
 義経と頼朝のケースも同様の想定が成り立つ。
 義経奥州藤原氏の心底を探る意図を持って平泉に乗り込んだ。
 藤原氏源平合戦の最中、一貫して中立を貫いたが、裏を返せば兵力を温存したとも言える。
 最後には義経を匿ったと言う名目で藤原氏は討伐されることになる。
 義経は本当に死んだのか?
 秀衡亡き後の藤原兄弟の間に不和の種を巻いた上で姿を眩ましたのかも知れない。
 この妄想は判官贔屓であろうか?