信長・秀吉・家康

 やはりこの三名はセットで考える必要がある。
 まず信長であるが、政治家としての有能さは認めるとしても詰めが甘いというかその場しのぎの感が強い。
 裏を返せば不慮の事態に対する勘がよいとも言える。
 危機管理型の政治家と言うべきであろう。日本史上でも希有な人材である。
 彼の政権構想は、その突発的な消滅により未知のままである。
 秀吉は準備不足のまま天下取りに乗り出すこととなったため、信長なら不要であった妥協を強いられる事になる。
 彼は信長の政権構想を最も良く理解していたと思われるが、そのすべてを実現することは出来なかった。
 愚策と言われた海外出兵であるが、これは成功していればその政権基盤を享子にしていたことも確かである。
 責められるべきは計画の杜撰さで有ろう。
(以前の稿で見たように単なる棄民政策で有れば目的は十分に達したとも言えるが)
 この作戦での最大の問題は後継者として指名した関白秀次との対立を引き起こしてしまった事である。
 逆説的だが、秀次が二代目としては優秀すぎたために秀吉の構想を越えてやりすぎてしまったのである。
 家康は前者二人の失敗を踏まえて、凡庸な秀忠を二代目として指名した。
 秀忠はその凡庸さ故に徳川政権の安定をもたらした。
 そんな秀忠の安全志向が”鎖国”政策に行き着く。少なくとも家康時代には”鎖国”政策は採っていない。
 しかし凡庸さが二代目の条件で有れば、信長・秀吉の時代が続いていたとしても鎖国は避けられなかったかも知れない。
 と言うわけで次に鎖国政策についての考察をしたい。