文明の継承者

 朝鮮半島は自他共に認める中華文明圏の長女である。
 その染まり方は徹底しており、*1同化されずに朝鮮族が未だに残っている不思議なほどである。
 だがよく考えてみると、半島と中国文明圏の間にはツングース族の勢力が存在しており、直接接触していない。更に中国が内乱期に入ると辺境にある半島への圧力は弱まる。こうした地理的条件が完全な同化を妨げたと言えよう。
 古代朝鮮には三つの民族が居た。一つは新羅、半島を統一し現代に繋がる朝鮮族の祖である。そして百済。これは恐らく海の向こうの倭人と近しい関係にあり、国を失った後、連合して日本を作り上げた。そしてツングース系の高句麗。これは先に触れたように中国と半島との緩衝地帯となった。
 満洲族が民族国家を維持していれば、高句麗に始まる歴史は満洲国史とされていただろう。満洲は長城の外側であり、中華文明の勢力圏外にあった。清朝に至って中国を征服するが、これが却って徒になって現代中国の一部分として取り込まれてしまう。モンゴル族が、民族国家を維持しているのとは対照的である。
 一方、ローマの長女とされるのがフランスである。
 だが、早くからローマ化されていたのは地中海沿岸の南部フランスだけであり、ポエニ戦争によりローマに支配されたイベリア半島の方がむしろローマ化の順位は上かも知れない。フランス全土がローマ化されたのはシーザーの征服以後である。
 スペイン(とポルトガル)は”ローマの長女”の資格を失った不幸な出戻り娘である。ゲルマン民族の侵入に際しては真っ先にその領土となり*2、更にはヨーロッパで唯一イスラムの勢力圏に組み入れられた。挙げ句に、成り上がりのフランス皇帝*3から「ピレネー山脈の向こう側はアフリカ」とぼやかれる始末である。
 彼らは事ある毎に自国の文化を誇示する。だがそれは裏を返せば今に自信のない証でもある。朝鮮は長く中国の属国に留まり、フランスはヨーロッパ史に置いて常に二番手を抜けられなかった。彼らのショービニスムは歴史に起因する。

*1:日本やベトナムと異なり独自の文字の発展が遅れた

*2:これは当時のスペインが豊かだった証拠だろう

*3:無論、ナポレオン1世の事