万世一系と言う信仰
信仰というのは危機を乗り越えることで強まるモノである。
”天皇教”を支える「万世一系」の教義も数度の危機を経て強化された。
一度目は武烈→継体の継承。
武烈天皇には跡継ぎが無く、応神天皇五世の孫とされる継体天皇が担ぎ出された。
この血統が怪しいという意見もあり、実際には此処で王朝が交替した見るべきであろうが、継体は先帝の皇女を妻とすることで正統性を確保した。
この後の二代安閑・宣化は継体の連れ子であるが、その後皇后の生んだ欽明が継ぐことで両朝は融合する。
二度目は天智→天武。
この二人は兄弟と言うことになっているが、天武の年齢がハッキリしないことからこの血縁関係には疑問が持たれている。
この継承にも(偶然か)女系の関与がある。兄・天智の娘が四人も弟・天武の后になっているのだ。
天武系の皇位を受け継いだのが天智の娘の一人、持統の系譜であった。