合従連衡

 これと同様の手法は古代中国にもある。
 戦国最強の秦に対抗すべくその他の六ヵ国が連合したのが合従策、そしてそれぞれが秦と結びついて相互の生き残りを図ったのが連衡策である。(両方を合わせて合従連衡と呼ぶ)
 これはローマ式の分割統治とは逆に小国の生き残り策と言える。
 戦前の日本が企図した大東亜共栄圏は言ってみれば合従策であった。対して戦後の日本は日米安全保障条約という連衡策を選択したと言えよう。
 東アジア連合というのは対米のみを見れば合従策と言えるが、中国を新たな中心に据えたもう一つの連衡策とも言える。
 従って、新たに連衡策を模索するならば中国抜きでやるべきだろう。
 だがそれも日本以外のアジア諸国が弱すぎるならば、日本を中心とした合従と見えるのかも知れない。