国際私策

在日

民団と総連が和解した。で、手を取り合って何をするって? 人様の家に世話になっている居候同士が喧嘩を止めたのは結構な話だけど、力を合わせて母屋を乗っ取る相談なら辞めてね。 次は一刻も早く自分の内に戻る算段をするべきだよね。

内政と外交

民主党は局地戦(千葉七区)での勝利に喜々としていますが、与党政府は海兵隊移転問題に蹴りをつけたようです。 二大政党制というのは、人体に喩えれば交感神経と副交感神経の様なモノではないでしょうか。社会としての恒常性を維持するために、対立的に調整…

竹島紛争

結局不発? 戦争が出来ない状況ではこれが精一杯か。 内容的には判定勝利、で良いんだよね。

鎖国と開国

この場合の鎖国政策とは他国からの移民を原則として受け入れないことを指し、逆に開国政策とは移民を積極的に受け入れる政策を指す。

難民と移民2

最後に難民自身の問題である。 難民を只で受け入れるのは効率が悪い。だが、情けは人のため成らず*1と言う。流入が避けられないならば、これを如何に効率よく捌くかが重要となる。 まず第一に難民は一カ所にまとめて住まわせて、現地民との接触を最小限にす…

難民と移民

難民の受け入れに関して、良く人道的見地からと言う言葉が使われる。 だが難民の無条件受け入れは本当に人最良の解決に繋がるであろうか。

日本の選択

さて、結論めいたモノを。

アメリカの覇権と幕藩体制2 

東側諸国を豊臣恩顧の大名に比定したが、ソ連=豊臣家ではない。 豊臣家に相当するのは前の覇権国家である大英帝国である。 英国はアメリカ=徳川家にとってまさしく「旧主家」であり、また第二次大戦によって海外植民地を失った点も一大名に落ちてしまった…

アメリカの覇権と幕藩体制

アメリカの覇権体制を江戸時代の幕藩体制になぞらえた論説を見たことがある。 この対比では関ヶ原が第二次世界大戦に対応し、敗戦国である日本やドイツは薩長に比定されることになる。 あの大戦はドイツが主で日本はそれに便乗した面が強いので、ドイツが長…

アメリカの大義

国連はアメリカの覇権に大義を与える場ではなく、アメリカの覇権を承認する”会盟”の場である。 純粋な力だけで維持されてきた近代の覇権システムにはそもそも”王者の権威”は必要とされなかった。 それに変わるモノは、強いて言えば覇権システムがもたらす国…

王者と覇者

覇権システムというのはそもそも西欧列強の発明ではない。 その起源は春秋時代の中国、最初の覇者・斉の桓公の軍師管仲に求められる。 管仲は武力を背景にして諸侯を集め「会盟」を結ぶ。これが言ってみれば現在の国連に相当するだろう。 会盟は牛の耳を切っ…

覇権システム

覇権システムとは覇権国と呼ばれる強国を中心とした国際秩序である。 これは大航海時代のトップランナーポルトガルに始まり、おおよそ100年周期で覇権国家が交替してきた。 オランダの世紀と言われる17世紀を経て、18・19世紀は大英帝国によるパッ…

日韓関係

他者を強力にする原因をつくる者は、自滅する。 要するに、日韓併合は失敗するのが当然だった訳です。 一度自滅した日本を復興させてくれたアメリカは果たしてどうなるでしょうか。

合従連衡

これと同様の手法は古代中国にもある。 戦国最強の秦に対抗すべくその他の六ヵ国が連合したのが合従策、そしてそれぞれが秦と結びついて相互の生き残りを図ったのが連衡策である。(両方を合わせて合従連衡と呼ぶ) これはローマ式の分割統治とは逆に小国の…

日中関係

今の日中関係を評して「政冷経熱」と呼ぶらしい。 政治的には疎遠で経済的には親密と言うことだが、それは別に今に始まったことではないだろう。

功利主義的外交策

外交に感情を持ち込んではいけない。 日本ほどの大国になれば、嫌いだからと言って付き合わないと言うわけには行かないのである。

常任理事国問題捕捉

昨日書き忘れた事。

常任理事国問題

日本は経済的にも軍事的にも米国に次ぐ大国である。 それを考えると、やはり身の丈にあった国際貢献は必要であろう。

功利主義的戦争論

世の中には、兵器や軍隊があるから戦争が起こるのだと考えているおめでたい「平和主義者」が存在する。 だが、歴史を学べば、こうした「平和主義者」の存在が戦争を招き寄せる事が判る。

武器輸出考

日本は武器の輸出をしていない。 しかし、軍事における経済効率を考えるなら、武器は輸出するべきである。

途上国の人口問題

途上国の人口分布が「ピラミッド型」を取る、と言う話は以前にしたと思う。 この状態は高い出生率と高い死亡率によって生じる。

途上国支援

いきなり前提を覆すようだが、私は発展途上国という表現が好きではない。 かつての表現(後進国)よりも柔らかくはなったが、経済発展がすべてに優先されると言うのは文化の多様性を否定している様に感じられるからだ。