鎖国論
日本は過去に二度の「鎖国」を経験している。
一度目は平安時代、遣唐使の廃止により国風文化が花開いた。
そして二度目が家光による「渡航禁止令」に始まり、その実体は管理貿易である。
幕府は明確な「鎖国令」を出していない。
鎖国という名称自体が来日経験をもつドイツ人ケンペルの「日本誌」の邦題として「鎖国論」と言う名称が与えられて以後のモノである。
この時代の貿易は輸入偏重のため日本の金銀は流出を続けた。
オランダの世紀はこの日本銀に支えられていたと言える。
幕府はこの銀の流出をくい止めることが出来なかった。
これを止める方策は貿易を完全に止めるか、輸出を促進して貿易赤字を解消する事である。 幕府の遅すぎた政策転換は結局その崩壊を早めることになった。