性善説と性悪説

 ある分野の仕事が民営で良いかそれとも官営にすべきかの線引きとして「善意」の意味を考えて見たい。
 民間の事業については「善意」が考慮されて良いが、政府の管理において「善意」は徹底的に排除して行われるべきだと考える。
 民営は「性善説」に基づいて融通を利かせないと大きくなれないが、官営では「性悪説」を前提して厳密な運用が求められるだろう。
 この原則に立てば、自ずと境界線が引けるのではないか。
 政治において相手の「善意」を期待しては成らない。