万世一系と言う信仰4

 天皇が政治的な権力を失い”象徴”に過ぎない存在となった後も、天皇の地位を伺う権力者が存在した。
 最初の挑戦者は足利義満であった。
 彼は妻を天皇の准母とし、更に息子義嗣を天皇とする計画であった。
 義満の急死により足利天皇の誕生は辛くも阻止され、義満に贈られた「鹿苑院太上天皇」の法号も義嗣の兄で将軍職を継いでいた義持が辞退してしまった。
 義持は弟義嗣の下風に立つのを良しとしなかったのであろう。
 この兄弟の対立は後の家光・忠長のそれを思い起こさせる。
 義満の急死はあまりに都合が良すぎる為に暗殺説も囁かれる。そして彼と同じように皇位に手を掛けようとしたために殺されたのではないかと思われる人物が居る。織田信長である。
 信長の場合は、生まれながらの将軍だった義満に比べて乗り越えるべき障壁が多すぎた。それでも天皇の息子を猶子に迎えるところまではいった。
 後は天皇に譲位させれば、と言うところで謀反に遭った。光秀がそのまま天下を掌握していれば、信長の簒奪未遂が喧伝された筈だが、信長の敵討ちを大義名分として天下を取った秀吉が隠してしまったのだろう。